真面目にコツコツと…

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もう6月も終わりです。

またしても「うっかり」ブログを書き忘れましたので、また今日もくだらない話でも。

 

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サラリーマン時代いや、学生時代くらいからでしょうか

「真面目にコツコツやってる人がバカを見る世の中だけは変えるべきだ」

なんて常日頃から思っていまして。

それはなぜか? なんて説明するまでもないですよね。

当たり前のことです。(と、思ってます。。。)

 

自分で言うのもなんですが、子供の頃から「クソ真面目」な人間でして。

たいがいの大人には「真面目な子」って言われてました。

子供の時って、ていうか大人になってからもそうですが、「真面目」って言われるのって、ちょっとネガティブな意味合いも入っているケースがあるじゃないですか。

面白くないとか、つまらないとか。

自分も真面目な自分を客観的に知っているので、変なところで意味も無くヘラヘラしてみたり、つまらないギャグを言ってみたり、そう思われないようにしてきた面がありました。

なので、昔からのその癖が抜けずに、会話が途切れると話さなくてもいいような話をして後で後悔したり、シリアスな場面でヘラヘラしたりなんかして、かえってギクシャクした感じの人になってる事もありました。

まあ、今でも少しそういうところがあるんですけど、装うのもキツイので、なるべく開き直るようにしてます。(つまり、「無口で無愛想」を心がけてる?苦笑)

 

・・・まあ、そもそも真面目って何?  どーゆー人のことを真面目っていうの? って話になるんですが、その辺は感覚的な話って事でご理解下さい。

ただし、真面目 = 賢い、とか、勉強ばかりやってるとか、理屈っぽいとか、偏差値高いとか、そういう意味ではないです。

義理とか人情とか誠実さとか、律儀さとか、正直さとか、礼儀とか、品行方正とか、そういう道徳的なものを重要だと教育された人という意味が一番自分の「真面目像」に感覚的に近いです。

ただ、必ずしも、それが完璧にできているという意味でなく、そうあらねばならないと思っている人、という感じですかね。

 

でも、「(その意味で)真面目にコツコツやってる人なのに、なぜか報われてない人」っているじゃないですか。

それはまあ確かにそうで、そういったものって資本主義社会では社会的な評価に直結しませんからね。

真面目にやってても成果が出なければ、いつまでたっても経済的、または社会的な地位という意味では報われません。

それは当然のことです。

でも、逆に真面目にやってるからこそ成果が出ない人、叱責される人っているんですよね。

 

そういうのって、感情的に、どうも納得がいかないんですよね。

 

サラリーマン時代でもそういう人がいましたが、成果が出なくて若い人たちから小馬鹿にされてたりする人を見ると、それは違うんじゃないかなあって。

だからといって自分がその人に対して何かできるわけではないですが、少なくとも上司は、そういう人をもっと世話して、より成果の出せる役を振ってあげればいいのに、なんて思ったことはありました。

それでもダメなら・・・って可能性もありますけど、まあ、その場合は「悪いようにはしない」程度に処遇すればいいのであって。。。

だって、そういう人が駆逐されると職場にモラルがなくなりますからね。

(職場のモラルって言うと上司のモラル、つまり「従業員の権利」を連想する人がいますが、そうではなく、むしろ「義務」に近いです。何事にもちゃんとやろうって人がいなくなるっていう意味です。)

 

ウチの親なんかもそうですけど、友達の親と比較すると、めちゃくちゃ真面目なんですよね。

高校時代の門限19時から始まり、普通の友達(子供)がやっているような、ちょっとした不正やズルいことも一切許されず、もちろんウソをつく、約束を破る、下品な振る舞いなんてことは断じて許されませんでした。

とくに正直であることが重んじられて、「正直に言え」と言われて正直に言うと、さらに怒られるという、あのシステムです。

が、だからといって真面目に生きると損だという事にならなかったのは、それらの価値観が損得とは別の次元であるということも同時に教えられたからでしょうか。

他にも、何かしてもらったら必ずお礼・お返しをするとか、まず礼儀というか、相手の立場や気持ちを優先というか、そういうことが少しでもできないと 「思いやりがない!」 とよく言われました。苦笑

まあ、もちろん今は平和に暮らしてますので、そういった教育方針も肯定できるというか、まあ感謝してるんですけど、子供の頃は、それはそれは窮屈でしたね~。

 

ただ、そんな真面目な親なんですが、その割には経済的に報われてないというか。。。(苦笑)

振り返って思うと、苦労してたんだなあって思いますよね。

よく考えたら、子供二人を大学に行かせるって大変ですよね。

自分も(昨年完済しましたが)国の奨学金を借りたり、授業料を免除してもらったりしましたが、そんなレベルでも仕送りをしてもらってましたからね。

そのおかげで当時憧れの(笑)風呂付きのアパートに住むことができたのは親に大感謝ですけど、「仕送り月30万円」の大学の先輩に、『親がかわいそうだからトイレ風呂無し4畳半に住めや。』 なんて言われたときには殺意を覚えましたね。笑

まあ、そんな自分なので、親と国にはお返しをしなければならないなあと思っております。 (・・・国にお返しとか言ってる時点で「真面目か!」って突っ込まれそうですが。)

 

ただ、親に対して「これからは恩返しだ」と思っているのはやまやまなのですが。。。

例えばみんなで食事にいったりしても絶対に支払わせてくれませんからね。

素直に受ければいいのにって思うんですけど、レジとかですごい怖い顔で拒否するんで(笑)、そういうところがやっぱり「真面目」だなぁ…なんて思うんですよね。

帰省した際に、ちょっといいものを食べに行こうよってことで、愛知県なので「うなぎ」とか食べに行くと、結局、親に大きな経済的ダメージを負わせるハメになります。苦笑

家も年月が経って外壁とか床とかボロボロなんですけど、リフォームしようと言っても堅く拒否されるので、そこは真面目というか、親のプライドなのかなぁと思ってそのままにしてますが。。。

やっぱ、堅いというか、くそ真面目な自分の親なんだなあって安心するというか、そう思います。

 

なので、やっぱり真面目にコツコツってのが一番だなあって思います。

もちろん、実力不足というか、技量が無くてうまくいかない時ってのはだれにでも有ると思いますけど、それも真面目にコツコツと頑張っていれば、いつかは克服できるじゃないですか。

うちの親もそうですが、例え仕事や家庭でうまくいかないことがあったとしても投げ出さず、真面目にコツコツと仕事をして、普段の生活・ルーチンを崩すことなく、兄弟2人を大学まで出したわけですからね。

母親も家では生活が苦しいだの、なんだのブーブー言ってましたが、傍から見れば普通に幸せな家庭に見えていたと思います。

 

自分も若いときは親に反発して家を出て(と言っても家出とかでなく県外の大学に行ったという非常にしょぼいレベルの反発ですが…)、大学時代や大学卒業後も色々好き勝手やってみたけど、やっぱり、真面目にやったほうがうまくいくってことがわかりました。

もちろん、やりたいなって思うことを年甲斐もなく自分探しの旅に出て色々試してみたことは、それはそれで良かったと思っているのですが、どんなことでも何かやろうと決めたら、真面目にコツコツやるしかないなぁと痛感しました。

ちょっと尖ってみて「おれは人と違ったことをやってやろう」程度ではうまくいきません。

やるべきことは地道にやらないとダメです。

 

時代はずいぶんと変わってきてはいますけど、世の中にはなんとも理不尽なことが、それが解決されないまま残ってますよね。

そいうことが真面目にやっている人の意欲をそいだり、報われない結果を招いているとしたら許されないことですよね。

そういうこともあるので、真面目にやっている人が理不尽な状況にいる事に気がついたら、やっぱりそういう人は積極的に守っていかないといけないなあって思います。

なんか、そういう理不尽なことがここ1~2年すごく気になっていて、最近はとくに自分がトゲトゲしくなっている感じがします。

田舎暮らしをやめて少し街に出てきたからアクティブになってるんでしょうかね。笑

 

それとも、今って、そういう時代なんでしょうか。

個の意識ってのは集団の意識に無意識に同調することってありますよね。

黙っていたら惰性でとんでもない方向に進んでしまいそうな世の中ですし、日本だけでなく世界に目を向けると、何らかの構造の変化がありそうな予感もありますしね。

なんとなく、何かやるなら、その取っかかりだけでも今やらないとなあって感じはしています。

前々から考えている新しいビジネスというか、それはそれで大事なんですが、モチベーションとしては自分の中では2番手なんですよね。

そんなこんなで、真面目にやっている人が(例え社会的に報われないとしても)バカを見ないような世の中にしようよって、声を上げてもっと主張していった方がいいのかな、なんて結構真剣に思ったりしている今日この頃です。

※ あ、自分は政治・信条・宗教的には完全に中立です。 念のため。

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